本日は、東山のため池のほとりで、草刈りの作業に加わらせていただきました。
お聞きしたところ、この場所は、以前に大切な職員の方の命が失われた場所なのだそうです。だからこそ毎年この時期に、皆で故人を偲びながら草を刈るのが習わしになっているとのこと。 私も静かにお線香をあげ、水面(みなも)に向かってそっと手を合わせました。
生い茂る草が刈り取られていく様子を見つめながら、今、自分がここに在ることの意味を、静かに考えていたように思います。
日々の暮らしの中では、つい「生きていること」を、まるで当たり前の空気を吸うように感じてしまいがちです。けれど、それは決して当たり前ではないのだと、改めて胸に刻みました。故人が残してくださった静かな教訓を心に留め、自らの安全をしっかりと守り続けていくこと。それが、今を生きる私たちにできる、大切なことのひとつなのかもしれません。
午後は教育委員会へお邪魔し、近々予定しておりますダンス体験会のチラシをお渡ししながら、今後の村での活動についても少しお話を伺っていただきました。
この村に来てから私が感じていることのひとつに、行政(役場)の方々との距離がとても近い、ということがあります。
それは、自分の「こうしたい」という小さな声を届けやすい、まるで風通しの良い縁側のような、素晴らしい側面があると同時に、その「近さ」は、もしかすると「役場が何とかしてくれる」という、少し受動的な気持ちを育んでしまう土壌にもなるのかもしれない……そんな風にも最近感じるのです。
「税金を払っているのだから」という思いが、自分から一歩を踏み出す力を、知らず知らずのうちに覆ってしまう瞬間があるのではないか、、、
どんなにささやかなことでも、心の中に「こうなったらよいのに」という小さな灯(ひ)がともったのなら。 それを人任せにしてしまうのではなく、まずは自分から、そっと一歩を踏み出してみる。
そんな「自主性」という種を、これからも自分の中で大切に育てていけたらと、静かに思った一日でした。

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